このままぐっと夢見せて

耳で溶けて流れ込む 媚薬たちを閉じこめろ

これは別れではない、出会いたちとのまた新たな始まり

 

嵐、活動休止。

 

 

 

2019年1月27日午後5時30分頃、自分の人生にめちゃくちゃデカいスラッシュが刻まれた。

1本の、太くて大きくて深い溝。区切り。

わたしの嵐への応援の気持ちが文字通りプツっと途切れる…というか区切られた瞬間だった。

 

 

 

 

ツイッターで見たその速報は何かの悪い冗談にしか見えなくて。でも、渋谷すばるくんが脱退したときのそれと雰囲気がとてもよく似ていて。全身を包む嫌な予感に気分が悪くなり思わずしゃがみこんでしまった。耳の奥でピーンと聞こえる。目の前は真っ白になって、気分の悪さと室内なのにありえない悪寒に体が震えた。

 

得体の知れない気味の悪さが体を包むだけで、嵐がどこかに行ってしまう寂しさは不思議と感じられなかった。「嵐」「活動休止」という考えたこともない単語のつながりに酔って、ぞわぞわとした不気味な感触を1人で味わうしかなかった。

 

まず家族に電話した。そのショックが急速に膨らみすぎて、1人で抱えることができなくなった。

それでも気持ちが晴れることはなくて、でもFC会員用の動画を見る勇気もなくて、ぐっちゃぐちゃの感情のまま予約していた美容院に向かった。今わたしの髪を染めている美容師さんはこの事実を知っているのかな、ファンだったりするかな、そういえば会見のようすは生中継するのかな、とぐるぐる脳みそを無駄に回転させながら暗く重い気持ちとは裏腹に明るい色になった髪を鏡越しにぼーっと見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょうどその頃はWESTV!福岡公演のオーラスで、福岡に入っている友達と電話をして生レポを聞く約束をしていた。彼女との間で恒例行事となりつつあった生レポの電話を、わたしは本当に楽しみにしていた。

それなのに。

あのニュースを見て、「重岡さんのビジュ最高だったよ♡」「昼公演も前髪あがってた♡」で止まっていた彼女とのLINEを、「話さなきゃいけないことがある」と動かした。

ニュースを見たのか、すぐに電話をかけてきてくれて開口一番にわたしの名前を呼んでくれた。報道を見てから3時間弱、不気味な感情に包まれて涙すら出なかったけど、ここにきてぼろぼろと涙があふれて止まらなかった。泣きながら自分の気持ちをしゃべり続けた。(もちろん、約束通り彼女はわたしが落ち着く頃合いをみて福岡での素敵な話も聞かせてくれた)

 

嵐を応援していた頃からの仲良しだった彼女と電話していなかったら、もっともっと苦しくて辛くて、耳の奥のピーンが鳴り止むことはなかったと思う。きっとすごく楽しかったであろう福岡オーラスの直後に見たニュースで彼女も動揺していただろうに、わたしの一方的な号泣をうんうんって聞いてくれてありがとう。と本気で感謝している。

 

 

 

 

そんな重岡担の友達と話したことで、落ち着きを取り戻すことができたわたしは自分の気持ちを整理してみようと思った。

会見も見られず、動画もZEROも見るのは今年の年末ぐらいだろうと思っていた。それぐらいマイナス方面に気持ちが向いていた時間もあれば、数分後には復活してくれるかもしれない。悲しいよりありがとうでいっぱいでいたい。とプラス方面に気持ちが向かうこともあった。オタクはよく「感情がぐっちゃぐちゃだよ(´;ω;`)」なんて言葉をよく使うけれど、マイナスとプラスの感情が分単位で入り混じっていたこのときに、初めて正しい「ぐっちゃぐちゃ」や「混沌」の使い方ができたのではないかと思う。

 

 

どうやら活動休止の言い出しっぺは自担だったようだ。怖くて自分から情報や真相を集めに行くことはできないけれど、WSやSNSで目に入ってくる様子を眺めている限り、そうらしい。

まずここにわたしはとてつもなく大きなショックを受けた。

 

嵐がデビューしたときに、大野くんが「いつか辞めたい」みたいな感情を抱いていたことは、もはや彼らが国民的アイドルとなった今は有名なお話かもしれない。そんな気持ちがあったことについては、こんなに嵐が大きくなったこともあるし、別にわたしに大野くんを「自覚が足りんぞ!」と怒ったりする資格はないと思っていた。

嵐がツアー・ハワイ・宮城と素敵な時間を重ねていく中で、自分も大野くんと同じ景色を見る機会もあって。大野くんが「もうそんなこと思ってないよ」と言ってくれたのを覚えている。でも、嵐は2019年始まってたった4週間で活動休止宣言をした。大野くんは「自由な時間を」と言っていたらしい。

大野くん、実はつらかったの?

なんで?楽しかった時間は実は苦痛が底に眠ってたの?という疑問だけが脳みそを駆けめぐった。そしてそれに気づけなかった自分が猛烈に腹立たしかった。「隠せているということは大野くんのプロ根性だよ」と言われればそれまでだし、たしかにその通りだと思う。図太い大野くんのプロ根性が、嵐をここまで育てただろうし。じゃあ何が引っかかるのかを冷静に考えた。

例のことを嵐に打ち明けたのは2017年の6月16日だそう。わたしはその日教育実習の最終日を迎え、我ながらタフだと思うが翌日の大阪ワクワク學校に入った。ものすごく楽しみにしていた。(二ノの誕生日だし。)厳しい学校で3週間頑張ったわたしにとって最高のご褒美だった。そんなわたしの目に映る嵐、大野くんはその活動の休止を考えていた。

わたしはたぶん「もう嵐を辞めようなんて思っていない」という大野くんの言葉を過信していて、それが当たり前として体に染みついていたせいで、自分の中で勝手に描かれて生きていた大野くんと、「自由な時間がほしい」と言い出した38歳の大野くんとのギャップに気持ちがわるくなっちゃったんだろう。

 

 

 

 

そして、わたしにとっての「1番」が嵐や大野くんではなくなってしまったことも大きなショックの理由の1つでもある。

掛け持ちで立派に応援なさっている先輩ジャニオタ、さっぱり降りてはいるけど元担も大切にできる先輩ジャニオタ…たとえ1番が替わったとしても最初に好きになった担当には恩があって、いい思い出として胸の深い所できらきらしていて欲しいものだと思う。

不器用なわたしにはそれができなかった。担降りブログも書いてみてそれなりにけじめをつけようとしたけれど、結局ずるずると半端に好きな気持ちを飼っていて。具体的には、CDや雑誌を買わなくなった。ラジオもバラエティーもドラマも映画も見なくなって、音楽番組の録画を忘れてもま~いいやと思うようになった。CDも買わない、音楽番組も見ないから曲が分からなくなる。ライブが当たってもアルバムを買おう買おうと言いながら買うことなく参戦した。不器用だから、降りた方を大切にすることができなかった。降りたのが嵐だったから、いつまでもいると思っててきとうな態度をとってしまっていた。もっとちゃんと…と思っても、もう戻れないことがごめんなさいという気持ちを加速させた。親不孝のような、タレント不孝をはたらいた悪いファンでごめんねという後悔に押しつぶされそうになった。

 

 

 

悔やんで悔やんで仕方のなかったわたしの顔を上げてくれたのは、翔くんの発言とそれを引き出してくれた「無責任」記者だった。

 

あの質問にはイラッとしたね。会見見てないけど。SNSやWSの話でしか知らないけど。

けれどあの質問によって、謎に設定された2年の重みを自分なりに解釈することはできた。

正直このニュースを見たとき、なんで2年も時間をおいて発表したの?この2年はどうしたらいいの?苦しめないで、いっそ明日活動休止でいい!とさえ思っていたけれど、翔くんの誠意という言葉で立ち止まることができた。ほんとうのところ、大野くんは・嵐は帰ってきてくれないんじゃないかと思っている。これは信じたい気持ちと、傷つきたくない気持ちがせめぎあって張る予防線のようなもの。でも、今の気持ちのままで嵐から離れてしまったら、復活したときにこれまでと同じだけの熱量、ましてやこれまで以上の熱量では応援できないだろうと考えていた。

だからこそ、翔くんの言う「誠意の2年間」でわたしは嵐を胸の奥できらきら光る宝物にするために、ひたすらありがとうありがとうと言いながら磨く時間にしたい。そして楽しい青春として、2年という時間をかけてゆっくり嵐を卒業しようと決断するに至った。

 

 

「感情がぐっちゃぐちゃ」なので、明日・明後日・来月・半年後には嵐卒業なんてできな~い!と騒いでいるかもしれない。今度は、それでもいいと思うことにしよう。ゆっくり、気の赴くままに嵐を見つめて。それでも感謝だけは忘れず。自分の結論にたどり着ければいい…それがたとえ迂回路でも。